第4回企画展
「明治の鉄道人物伝 ~鉄道の夜明けを支えた14人の男たち~」

開催期間 2018年5月19日(土)~ 2018年7月16日(月・祝)
開催場所 本館2F 企画展示室

はじめに

私達の生活にとって切っても切れない存在である鉄道は、多くの鉄道人の熱い思いによりカタチ造られてきました。
そんな鉄道人の鉄道に注いだ熱い思いがひしひしと伝わる鉄道資料を通して、鉄道の歴史を紹介します。
何気なく見ているいつもの鉄道のある風景が、少し違ったものに見えてくるかも知れません。

企画展の内容

1.鉄道の日本導入と井上勝

1825年、イギリスで世界初の鉄道が開業してから、1872年10月14日(旧暦:明治5年9月12日)に新橋・横浜間で日本最初の鉄道が開業するまでには、多くの人びとの努力がありました。幕末にイギリスへ留学し、帰国後、鉄道の技術官僚として明治政府の鉄道事業をリードした井上勝はその代表です。京都府参事槇村正直に宛てた手紙からは、京都~神戸間の鉄道敷設をめぐる当時の苦労がしのばれます。

「新橋-横浜間開業式」(1872年10月14日)

「初代井上勝銅像台座の石材」(萩市観光協会蔵)

2.鉄道技術の国産化と工技生養成所出身者

開業当初、日本の鉄道事業はお雇い外国人の指導に頼っていました。その後、工部大学校や工技生養成所などの養成機関で日本人技術者などの育成が進められました。それらを卒業した日本人技師たちは、逢坂山トンネルや柳ヶ瀬トンネルに代表される難工事を日本人のみで完成させるなど、各所で活躍し、鉄道の普及に尽力しました。

「橋梁隧道等鉄道構造物設計図」(逢坂山トンネル部分)明治期(山口市小郡文化資料館蔵、山口市指定文化財)

京神間建築師長T.R.シャービントンと工技生養成所修了生たち(「日本鉄道史」1921年より)

3.土木工事の展開と鉄道技師

鉄道網の拡大に伴い、各地で橋りょうやトンネルなどの土木工事や鉄道史説の工事が進み、その現場では多くの鉄道技師が活躍しました。本展で紹介した九鬼隆範や秋本春三は、お雇い外国人や井上勝らに従い、鉄道敷設の現場で実地を学び、測量や工事に従事しました。彼らが残した図面類は当時の鉄道敷設工事を知る貴重な資料です。

「1906(明治39)年頃の中央西線 坂下~三留野間の鹿島組測量隊」(鹿島建設株式会社画像提供)

「I.G.R. KOBE TO OSAKA(神戸・大阪間鉄道線平面・縦断面図)」明治期 個人蔵(三田市寄託資料)

4.車両開発に尽くした人々

開業当初は、イギリスやアメリカ、ドイツから蒸気機関車などの車両を輸入しましたが、次第に国内工場で改造や製造が進められました。当館に展示されている230形233号蒸気機関車は、国内初の量産型蒸気機関車です。また島安次郎や朝倉希一は国産標準蒸気機関車の開発に着手し、1913(大正2)年の貨物用蒸気機関車9600形、翌年の旅客用蒸気機関車8620形の製造に結実しました。

「国産初の量産型蒸気機関車A10形(のち230形)」1902(明治35)年製作

「860形蒸気機関車」小川一真撮影1897(明治30)年

5.鉄道普及をめぐる人々

日本鉄道をはじめとした私設鉄道が設立され、鉄道が全国に普及するにつれ、旅客サービスへの注目も高まりました。月刊時刻表を創刊する手塚猛昌のように、その分野で事業を立ち上げる人々も登場しました。
一方で、1906(明治39)年には私設鉄道17社を買収し国有鉄道が誕生し、鉄道院初代総裁後藤新平が規格の統一を推進すると同時に、職員の一体化も図りました。

「鉄道普及をめぐる人々」のコーナーの一画

明治廿七年十月五日発兌 汽車汽船旅行案内(復刻版)

開催中の見どころ

京都初公開の資料がたくさん!

全国には鉄道敷設に尽力した人物ゆかりの資料が残されています。今回の企画展では、井上勝ゆかりの資料と、鉄道技師の九鬼隆範と秋本春三の資料をご紹介しました。九鬼が担当者として描いた京都~神戸間の鉄道路線図や橋りょう図面など、日ごろはなかなか目にする機会のない貴重な資料の数々が並びました。
【写真】井上勝書状 京都府参事槇村正直宛1872(明治5)年2月28日(山口市歴史民俗資料館蔵)

14人の鉄道への熱い情熱を体感!

鉄道敷設に人生をかけた井上勝、最新の技術を学び日本の鉄道で実践した技術者たち、車両の国産化に情熱を傾けた島安次郎や朝倉希一など、明治期に鉄道に関わった人々はそれぞれ大きな足跡を残しました。九鬼隆範の製図道具はその生き証人となっています。
【写真】九鬼隆範の製図道具 明治期 個人蔵(三田市寄託資料、三田市指定文化財)

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